T-ARA事態、いじめを解決できない学校と同じ無能な事務所

T-ARA騒動に関して

 


 

オリンピックは問題のブラックホールだ。

政治から芸能まで、すべての問題がオリンピックに関連していない場合は埋もれていく。

しかし、このブラックホールに吸い込まれかけずにしっかり関心を吸収したブラックホールがもう一つあった。

T-ARA。

インターネットで『ティアラファヨンツイッター事件』と呼ばれているが、事案の顛末はおおよそこうだ。

去る7月25日Twitterにジヨン、ウンジョンなどのティアラメンバーたちが武道館ライブの終わりにファヨンを非難するようなつぶやきを上げた。

「ウンジョン:ポジションが人をつくるように、意思が人をつくると思う。 はぁ、残念。 自分の隣の人たちの世話をできるようにいつもしておくべき」で始まったツイッターにお互いがリツイートして肉付けしていった。

これにファヨンは「場合によって、意志だけでは無理なこともある。その時は傷ついてしまうけど、一方ではそれに込められた良い意味と神様の意志があると信じる」と独白調で答えた。

当然、ファンたちはすべての過程を見守っていた。

自然にティアラのメンバーの中で最も遅れて合流したファヨンを、他のメンバーたちがいじめているのではないかという疑惑が浮上した。

そしてネットユーザーたちはティアラの様々な映像や言動を探してファヨンいじめ説を裏付ける根拠を見つけようとした。

関係者、あるいは関係者を自称する人々がティアラの普段の行いを暴露する記事を掲載した。

火に油を注いだのは所属事務所コアコンテンツメディアだ。

この会社の代表であるキム·グァンスは、議論が大きくなると、緊急プレスリリースを予告。

「現在起きているティアラグループ内のいじめ説や不仲説は事実ではない」というのが要旨でしたが、結論はとんでもないものでした。

ファヨンを脱退処理したのだ。

 

理由もおかしなものだった。

「ティアラを補佐する19人のスタッフの不満を集約して、メンバーファヨンをフリーの歌手の身分で条件なしに契約を解除する」というもの。

問題が明らかになったのはメンバーたちによってでしたが脱退の理由はスタッフにあると言っている。

誰が見ても納得のできない内容だった。

ティアラのファンクラブは、一瞬のうちにティアラアンチクラブになったり、ファヨンファンクラブに転換した。

広告契約を結んでいる企業は、これ以上の契約延長をしないという見解を明らかにし、彼女たちの写真がかかった広報物を回収。

3年という時間をかけて少しずつ自分たちの席を確立してきたティアラはその3日で危機に瀕し。

 

1990年代半ば以降、アイドルグループの内紛や対立は、しばしばあったことだ。

しかし、今回のティアラの事件は以前のものとはその根本が違う。

 

まず、紛争の主体とそれが知られる契機となった拡散方法だ。

HOT奴隷契約波紋から東方神起の分裂、KARA分裂事件までアイドルグループの葛藤は、 『甲』と『乙』の問題だった。

つまり、過度に長い契約期間や収益分配などのビジネスの問題をめぐる所属事務所との個人間の紛争だったのだ。

ファンタジーシステムの暗い裏面であるビジネスの世界には明確な善悪が存在しない。

遠慮なく『甲』、つまり所属事務所に肩入れはしなくてもこのような観点から、傍観したり、冷笑的に見る視線が存在したのも事実だ。

また、問題が浮上したきっかけも、記者会見やプレスリリースなどの公式的なチャンネルを介したものであった。

 

しかし、ファヨンいじめ疑惑の主体は、そのような甲と乙ではない。

メンバーたちの間で起きた事ですしメンバーたちが自らのTwitterというプライベートな空間を介して、これを世の中に発表した。

これを見つけたのはインターネットユーザーであり、関連資料を探して『ストーリー』を作り出したのもネットユーザーだった。

メディアは急速に作られたストーリーを追って行っただけだ。

会社は手のほどこしようもなく大きくなった事態に対応できなかった。

マスコミも、所属事務所も、最終的にはプライベートな空間で起きた事件を公的な領域に収めることに失敗したのだ。

そういった経緯からこれまでのアイドル関連事態とティアラ事態は異なっている。

 

 

そしてもう一つ、厳密に言うとアイドルの世界に私的な領域というものは存在しない。

大衆文化の時代は20世紀、つまり技術の複製の普遍化とともに始まった。

音楽は会場に訪ねて行って直接見て聞く芸術からレコーディングされた音源をいつでもどこでも聞くことができる芸術になった。

この過程で普及しているスターが登場した。

スターは大衆と直接会わない。

アルバムㆍ雑誌·放送などのメディアを介して処理され、複製された姿で会うだけだ。

この過程でスターはすぐにファンタジーとシソーラスとなる。

個人という実体に関係なく、大衆が願う形にマネジメント社が加工して、メディアが広める虚像のファンタジーになって世の中にばらまかれている。

このようなファンタジーシステムの頂点がアイドルだ。

大衆音楽は芸術であり、産業でアイドルは徹底的に産業指向的な形となっている。

市場を定め、それに合うメンバーを選んでキャラクターを与えて訓練させる。

個人の才能や特性が反映されることはあっても、これを決定することは徹底的に資本、すなわち所属会社だ。

音楽はもちろん、インタビューさえ事前のトレーニングを経て、個人の意識ではなく、彼らの商品性を高めるための方向に進行されていく。

アイドルシステムが発展すればするほど、それらをめぐるファンタジーは、より精密に加工されていく。

今、韓国のアイドル市場でのストーリーを作り上げる上で重要な役割を果たす芸能番組は一般に、彼らの私生活を一つの商品に加工する工場と変わらない。

しかし、大衆もそれがすべてではないことを知っている。

 

だから、もう一歩踏み込んでくるファンが出てくるのだ。

もっと深く秘密の実体を覗いて見ようする人々が存在している。

アイドル歌手の音源から声だけを抽出して『生歌』を聞いて歌唱力を判断し、次のアルバムとは比べ物にならないほどの高い価格を支払って公演会場を訪ねる。

数秒の出会いのために宿の入り口に陣取って1時間数万ウォンの『サセンタクシー』に乗ってオッパ(お兄さん)たちのスケジュールを追いかける。

 

ところがティアラの場合は彼女たちの実体を自ら国民に上納した。

人が集まったところでは競争があり、嫉妬があるのは皆が知っている事実だ。

ましてやきれいな女の子同士が24時間一緒にいるので、嫉妬と謀略がないというのは話にならない。

ただ大衆が願うファンタジー以上は見せてくれないだけだ。

ティアラがTwitterを使ってその暗い欲望を現わした瞬間、ファンタジーの壁は自分から崩れていった。

崩れかけた壁の中にいじめという、学校暴力の源があった。

被害者が権力者、つまり学校当局によってむしろ不利益を被る現実がキム·グァンス代表の事後処理でそのまま投影された。

高潔なファンタジーが瞬く間に醜い現実を映す鏡になったのだ。

インターネットユーザーは、その加害者を攻撃する。

是非を残して社会的自警団の役割を自任するのだ。

マネジメントという公的領域は、いじめを助長する学校当局と同じように無能で情けないものだった。

ほとんどのアイドル事態はビジネスという、大人たちの世界と関連したことでしたがティアラ事態は彼女たちの主消費層である10代、そしてその時期を経験した20代の自分の世界とそのまま重なった。

利害関係の対立ではなく、人間関係の葛藤、その過程で明確になる善と悪、被害者と加害者の構図が形成された。

これが一介のガールズグループの対立がオリンピックという巨大な関心に吸い込まれることのなかった理由である。




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